分析機器情報

環境分析の発展と課題

1. はじめに

科学技術の発展とともに多くの種類の化学物質が開発され、我々の生活のさまざまな局面で利用されて、現代社会を支えている。その一方で、使用開始後に思わぬ毒性、有害性が見つかり、環境汚染として問題になるケースも少なくない。 また農薬類のように、もともとその物質のもつ毒性を利用する場合もある。これらについては適切な管理や規制を実施し、達成状況や有効性の確認、評価を行うこととなる。 このように、化学物質の適正管理を進め、安心、安全な社会を構築するうえで、環境分析は重要かつ基本的な役割を果たしてきた。一方、環境分析には、環境中の物質の流れや動態の理解、生態系の構造の解明、気候変動とその影響の追跡など、環境をよりよく理解し、その保全を図るために必要な基礎情報を収集する役割も求められる。汚染物質の追跡ばかりでなく、環境の状態やシステムとしての理解の推進も図り、持続可能な社会の構築に資することが環境分析の重要な役割と考えられる。

2. 環境分析の発展

2−1.さまざまな有機物の高感度・高精度分析

化学物質の管理においては、それぞれの物質の毒性、有害性を評価し、それらをもとに基準値や指針値を決めて、それをクリアできているかどうかを分析で明らかにすることが求められる。物質ごとに必要とされる感度が異なり、毒性が強いほど低濃度の測定が必要となる。特に、いわゆる POPs(残留性有機汚染物質)のように生物濃縮性の高い物質の場合、水や土壌のような環境媒体中の極低濃度の分析が必要となる。

 

図1ダイオキシン類
図1ダイオキシン類

 

環境分析のこうした面での一つの頂点は、ダイオキシン分析であろう。きわめて毒性が強いために極低濃度の環境分析が必要とされ、さらに塩素の数や位置の異なるさまざまな構造異性体の中から毒性を有するものだけを選んで正確に測定し、毒性換算の総濃度を求めることが必要とされる。環境試料の複雑なマトリックスに埋もれた fg レベルのきわめて微量のダイオキシン類を高感度かつ正確に測定するために、高い分離能をもつキャピラリガスクロマトグラフ(GC)と質量分解能の高い二重収束型の質量分析計(MS)を組み合わせた分析法が採用され、さまざまな環境試料に対して、分析に適した抽出、前処理方法が開発された。精力的なダイオキシン分析が進められた結果、廃棄物の減量埋め立てのための焼却過程から、また水田の除草剤中の不純物としてダイオキシン類が放出され、環境汚染が進んでいた様子が明らかになった。主要な発生源の特定と削減措置の推進により、ダイオキシンの大気への発生量は、この 20 年間にピーク時の数十分の 1 まで減少したことが確認されている。

近年では質量分解能を高めて妨害成分を除く二重収束型 MS に代わって、分子の壊れ方(親イオンと娘イオンの組み合わせ)を特異性の高い指標とするタンデム質量分析計(MS/MS)も普及してきた。さらにはイオントラップ型や飛行時間型 MS などの高分解能質量分析計も普及してきている。特に後の2つは高い選択性と感度を保ちながら同時に多くの種類のイオンを測定できることから、多種類の化学物質の同時一斉分析への展開が急速に進みつつある。また、もう一つの大きな展開は液体クロマトグラフと MS との結合であろう。特にここ 20 年余りのイオン源の進歩は著しく、上記の MS 関連の技術開発ともあいまって、 従来の GC/MS では測定が難しかった不揮発性の水溶性化学物質の測定が急速に発展し、プラスチック添加剤や農薬、医薬品などさまざまな物質の環境中の存在実態が明らかにされてきている。

2−2.高精度同位体分析

環境分析の精度を決める要因はいろいろあるが、分析過程における変動要因を適切に補正して高精度な測定を達成できる同位体希釈分析が、現在の環境分析においては標準的な方法になりつつある。ダイオキシン類をはじめ、さまざまな有機化学物質に対して同位体でラベルした標準物質が用意され、これを試料に既知量加えて前処理を行ったあと、対象物質と一緒に定量して前処理や測定における変動をキャンセルする。さらに、質量分析計の普及により、同じ物質に由来する異なった質量数のイオンを選んで同時に測定し、相互の比率から同定の確認並びに妨害の有無を判断する方法もルーチン化してきている。

こうして有機分析においても 10% を切るような高い精度で測定を行うことが可能になってきたが、元素の同位体分析においてははるかに高い精度が求められ、また達成されてきている。鉛は4 つの安定同位体をもつが、うち3つは寿命の長い放射性核種(238U, 235U, 232Th)を親核種としてもつ。長い地球の歴史の間に次第に形成されたこれらの鉛同位体は、場所によって比率に違いが生まれている。熱イオン化 MS や誘導結合プラズマ(ICP)MS などを使って、この同位体比の特徴を利用した鉛汚染の起源や越境移動に関する研究が行われ、特に日本海側での大気を経由した鉛の越境移動の様子が明らかにされてきた。 一方、水銀は7つの安定同位体をもつが、放射性核種を起源としてもつ同位体はなく、水銀同位体は地球上どこで測定してもほとんど違いはない。環境中での物理化学過程で生じるパーミル(1000 分率)以下のごくわずかな質量分別をきわめて正確に測定できる多検出器型 ICPMS の開発によって、水銀には質量に依存する分別の他に依存しない分別(MIF:Mass-independent Fractionation)メカニズムもあることが明らかとなり、濃度情報と同位体情報の組み合わせによって環境中での水銀の動態研究が急速に進展してきている。

元素の測定においては、同じ質量数を与える異なる元素の同位体や、別の元素に水素や酸素などがついた多原子イオン、多くの電荷をもつ多価イオンなどが目的元素同位体の分析を妨害する。そのため、質量分析計の高分解能化、高選択性化が進められ、イオン源(例えば ICP)と二重収束型の高分解能 MS や MS/MS を結合した装置も市販されている。また、ICP の後ろに薄いガスの層を設けて多原子イオンを破壊する方法も一般化してきた。こうした同位体測定方法の究極の姿といえるのは、加速器質量分析法(AMS)であろう。 イオン化の選択性に加えて、高エネルギーイオンのガスとの衝突による多原子イオンの破壊、さらには検出器での相互作用の違いによる元素の区別を組み合わせ、安定同位体の 1015 分の1以下の、きわめて微量の同位体の定量を可能としている。 長い歴史をもつ分析法だが、妨害除去条件の最適化により、最近では放射線発生装置として登録を必要としない低い加速電圧の装置も実用化されてきた。環境中のごく微量の長寿命放射性核種測定のみならず、医学・薬学・生物学分野の同位体利用研究などにも広く活用されることが期待される。

2−3.化学形態分析

ヒ素やクロム、水銀などの元素は、その化学的な構造(化学形態)により、毒性や生物への蓄積、環境動態が大きく異なることが知られ、環境中、生物中に存在する元素の化学形態の解明が重要な意義をもつ。特にクロムは六価クロムが規制の対象となっていることから、環境中の六価のクロムを正確に測定できる手法が求められ、開発が進められた。水銀については特にモノメチル水銀が毒性の高さから注目されているが、環境中には元素状水銀、水銀イオンのほかにジメチル水銀もあり、これらの分別定量法がつくられて、さまざまな環境試料中の測定が進められている。さらに、ヒ素では数十種類を超える有機、無機のヒ素化合物の存在が知られており、HPLC など適当なクロマトグラフと ICPMS などを組み合わせた化学形態分析法がつくられて、環境・生体試料の分析が進められた。また近年では LC/MS、LC/MS/MS の利用も進んでいる。特に海洋生態系でのヒ素の多様な存在実態が明らかにされてきたが、これらの有機体ヒ素のもつ意義はまだ未解明のままに残されている。

元素の化学形態という捉え方をされることは少ないが、有機ハロゲン化合物の種類は膨大であり、それらの環境中での存在に関する研究が盛んに進められてきた。これらには、化学的安定性や熱伝導性、難燃性、生理活性など、便利な性質をもつものが少なからず存在し、さまざまな物質が開発されて工業的に、また日々の生活で利用されてきた。しかしながら、それらの中に思わぬ毒性、有害性をもつものが見つかり、現在ではストックホルム条約などの国際条約で全球的に規制されているものもある。一方、自然界の生物がさまざまな有機ハロゲン化合物をつくっていることも明らかにされ、すでに数千種類を超える生物起源の有機ハロゲン化合物が知られている。ハロゲンの中で塩素や臭素はそれぞれ2つずつの安定同位体をもち、一つの分子あたりのハロゲン数に応じて特徴的な質量スペクトルを与える。さらに、ハロゲンは他の元素と違って精密質量数が核子の総和の整数値よりわずかに低めになる傾向があり、高分解能の質量分析計を使うと有機ハロゲンをまとめて他の有機物から分離することができる。また、イオン化の際にはずれたハロゲンを検出したり、有機ハロゲンの電子捕獲性を利用した選択的な ECD 検出法などを駆使したりして、環境中、生物中に存在するさまざまな有機ハロゲン化合物の一斉分析に関する研究も進められている。さらに、塩素や臭素の同位体比を精密に測定できる多検出器型 ICPMS を適当なクロマトグラフとつなげて、化学形態別のハロゲン同位体測定も試みられている。

 

図2 HPLC-ICPMS によるヒ素化学形態分析 (海藻抽出液中のヒ素化合物:U6 は未同定ヒ素化合物)
図2 HPLC-ICPMS によるヒ素化学形態分析
(海藻抽出液中のヒ素化合物:U6 は未同定ヒ素化合物)

 

2−4.微小粒子分析、微小局所分析

特に大気汚染と関連して、大気中微粒子のキャラクタリゼーションとそのための分析手法の開発が進められてきた。元素組成はフィルターなどで捕集したうえで分析する手法が中心であるが、 ICPMS に直接大気中微粒子を取り込んでイオン化し、粒子ごとの元素組成を測定するなどの研究も行われている。また、有機物については各種大気圧イオン化法やプロトン付加などと質量分析を組み合わせ、大気中の不安定化学種や極性物質、エアロゾル形成物質の分析など、さまざまな研究が進められている。

微小局所分析法としては、分光学的な方法、分析電子顕微鏡などのほか、マイクロレーザーアブレーション法と ICPMS などとを組み合わせた方法、マイクロビーム化された蛍光エックス線や X 線分光法、ナノ SIMS などさまざまな分析手法が開発され、微小粒子や微細な構造をもつ固体の元素分析などに活用されている。ただ、局所的な分布における化学形態まで踏み込んだ測定は、いまだに難しい課題として残されている。一方、有機物質の局所分析、微小粒子分析については、まだまだ難しい課題が残されており、多くの研究開発が求められる。マイクロ/ナノサイズのプラスチックや複合材料による環境汚染の実態や環境中の動態並びに物質的な変化を的確に把握できる、微小分析手法の必要性もますます高まるものと予想される。これらが生物、生体に取り込まれるのか、取り込まれた後はどうなるのかなど、微小粒子の毒性研究においてその分析も必須の技術と考えられる。さらに、規制を考えた場合も、その分析・定量方法をつくることが必要となる。

環境分析においては試料の代表性が重要なポイントの一つで、採取した試料をできるだけ均質化し、その一部を使ってできるだけ正確な数値を求める作業が心がけられてきた。その対極ともいえる局所分析においては、手法そのものの開発も、また精度管理も難しい。しかしながら、実際の環境においては化学物質も元素も決して均質には存在しておらず、その偏在の様子や化学的な状態を明らかにすることが、起源や環境動態、変化、生物影響などを研究するうえで重要な意義をもつ。 さらに、魚やイカの耳石をはじめ、生物の成長とともに層状の構造をつくって大きくなる固体状の試料にはさまざまな環境情報が記録されていると考えられる。どのような分析をすればどのような情報が得られるのか、環境研究の発展を目指してさらなる研究の進展が期待される。

3.環境分析の課題

3−1.毒性試験の迅速化と化学分析との連携強化

これまでにも触れたように、分析機器の進歩に支えられながら、環境化学のさまざまな分野で大きな研究の進展が認められ、化学物質の適正管理や環境の基礎的理解の推進に貢献してきた。その一方で、さらなる分析手法の発展が期待される分野も多く残されている。

化学物質管理の観点から特に重要と思われるのが、毒性試験と環境分析との連携強化であろう。現状では毒性試験結果などから有害性の高いことが認められた物質リストを念頭に分析法が開発され、環境や生体試料の分析を行ってリスクの評価と管理・規制の必要性を判断する。しかしながら、毒性の評価には手間も時間もかかる。リスク評価は毒性研究と環境分析を両輪として進められるものだが、現実の両者のスピードには大きな違いがある。さらに、実際の環境では極めて多くの化学物質に同時にばく露されており、複合ばく露問題にどのように取り組むかが大きな課題として残されている。ヨーロッパで 2013 年から 2018 年にかけて進められた SOLUTIONS プロジェクトでは、大量採水・濃縮法をつくり、抽出物を分画してさまざまな短期毒性試験法と網羅化学分析を適用し、毒性側から管理すべき化学物質の探索、リスト化を試みた。

かつて日本でも、同様の考え方で、環境変異原研究や環境ホルモン研究における新規物質探索が行われた。こうした研究は今後も重要と思われ、毒性試験の機器分析化と化学分析との結合も大きなテーマではないかと思われる。特に生命科学の発展は極めて目覚ましいものがあり、化学物質の毒性に関連する情報も次々に報告されている。それらをいち早くキャッチし、整理し、短期毒性試験法として実用化し、機器分析化していくことも重要で、基礎的な研究と技術開発の間の密接な連携体制の構築が求められよう。

 

ヘルムホルツ環境研究所にて
ヘルムホルツ環境研究所にて
右から:Werner Brack 博士(Solutions Project リーダー)、 筆者、
Jan Koschorreck 博士(ドイツ環境省)、Martin Krauss 博士(ヘルムホルツ環境研究所)
プロジェクトの詳細、成果は下記参照:
https://www.solutions-project.eu/project/

 

3−2.環境分析のグリーンケミストリー化

現実の環境分析においてもっとも重要かつ盛んに行われているのは、大気や水、底質などさまざまな環境媒体中の各種化学物質の分析である。環境基準値や指針値などが決められ、あるいは監視が求められる物質の数は増え続けており、これらの定常的な分析も全国で行われている。我が国の環境分析の主体をなすこうした活動を支えるために、さまざまな分析機器や前処理装置、試薬が開発され、より迅速かつ信頼性の高い環境分析の推進が図られている。今後もこうした技術開発に支えられて、化学物質の適正管理のさらなる推進が期待される。

その一方で、環境にやさしい社会づくりを進めるうえで、より環境負荷の少ない環境分析技術の開発、環境分析のグリーンケミストリー化も重要な課題であろう。装置の高感度化や多種類の物質の同時一斉分析により、前処理や分析に必要な消耗品(各種の試薬や溶媒なども含め)の使用や手間が減少することは、資源利用の有効化の観点からも重要な意味をもつ。一方で、GC、GC/MS に必須ともいえるヘリウムガスも、もとはといえば、長い地球の歴史の中で放射性核種が崩壊して出されたα線に由来する有限の資源であり、かつ輸入に頼る状況は石油、石炭と変わらない。便利だ、代替がないと言って済ますのでなく、限られた資源を最大限生かす視点に立てば、例えば水素ガスや窒素ガスを使った環境基準の監視技術の開発など、できることはいろいろとあるように思われる。環境基準の定められたジクロロメタンなども同様で、一方で環境分析に欠かせない優れた特徴をもつ溶媒ではあるものの、これを使わずに済ますための手法開発も意義が高いと思われる。プラスチック問題にも注目が集まるいま、使い捨て機材の前処理における利用についても、繰り返し利用の試みなど、省資源化、省エネルギー化に向けた工夫の余地はいろいろとあるように思われる。ただ、厳しい競争原理にさらされた状態で、こうした努力を個別に進めることは容易ではない。この方向性を社会的に認知してもらい、一体となって進められる環境づくりも重要であろう。

多くの方々の努力で高いレベルに到達し、現代社会を支える重要な基盤的役割を果たしている境分析であるが、先端技術開発のさらなる推進に加え、環境分析自体の環境負荷軽減策の推進も重要と考えられる。こうした多面的な技術開発、研究推進によって、日本の環境分析が世界をリードし続けることを期待する。